勉強してきた

ある「夏の学校」に参加して、三日間勉強してきました。
聞き慣れない単語や議論に、脳が刺激を受けた(・・専門外なので)。


初日、ある先生が、日本人の創造性について話をされたところ、
ちょっと揉めた。

例えば、次のような発言、
「日本人は、自己主張や顕示欲が欧米に比べて低い」
に対して、何がいけない?的な質問があったけども、少し残念だった。
本来の筋書きは次のようなものだったはず。


1. 現在この業界は、強烈な"国際競争"に晒されている (※パス可)
2. そんな中、世界で活躍できる研究者になるためには、なにが重要?
3. 日本は和を尊ぶ国民性からか、アピールする力が弱い。目立たない。
4. 強いところを伸ばし、弱点を補強し、脅威を排除し、機会を活かすべし。
 (※ イビチャ・オシムの日本人化、ってワードが頭を巡った。)


楽しかったけども、若さ故か(?)、枝葉末節にとらわれた議論になってた。



2日目、シンポジウム。
途中から参加したため、全体は把握できず(ほとんど最後だけ)。
テーマは、大まかに言えば、研究者にとって情報発信が必要か否かというもの。

パネルディスカッションの最初の方では、情報発信は国の責任でするべし、
で、最後の方では、"絶望"とか"雑用"とか過激な発言が出てた。
先生方をはじめ、この学会に参加している人は、皆素直で
ココロが綺麗なんだなぁ、と感じた(嫌味ではなく)。


で、このテーマに対する僕なりの解釈は、次のようなもの。


背景
・平成7年11月に制定された、科学技術基本法
 天然資源の少ない日本は、科学技術立国を目指すしかない。
・第3期科学技術基本計画
 聖域無き構造改革で大幅な減税が進められた中、唯一保護されたのが科学技術関連予算
 デルファイ調査等に基づき重点分野の設定、予算配分における選択と集中、等


先ず、大衆への情報発信をメディアに依存することは、責任転嫁に思えた。
彼らが科学技術の情報発信で、メシが食えるとは思えない。
営利団体であり、ボランティアではない(※政府広報は別)。


科学者に求められるのは、結果・成果報告の義務。
多くは税金からなる研究予算が、有効に使われているか、
国は、ROIを極力明確にすべき。
※ 研究者の知的満足を満たすため"だけ"に金は出せない、はず。


情報発信は、税金の用途を説明する意味でも、国の責任で行われるべき。
ただし、責任は国にあるが、国から要望や指示を受け、実際に行動(情報発信)
するのは研究者になるのでは。適材適所は当然。


いずれにしても、研究者の評価は、成果である論文で行われるべき、
また、資金調達力も含めた総合的な研究力も問われるべきと思う。
情報発信できたら、良い研究者というわけではない。


国民の怒りの矛先が向いた場合、国が手のひらを返すことも有りえる。
事前に自助努力を行う、内外で新たなパトロン探し、選択肢はいくつも
あるだろうけども、本質は、宮廷音楽家と変わらない。驕ると、危ない。


3日目、午後のセッション。
最近の若い人は、最初に"失礼ですが"と断りさえすれば、
後は失礼な事を言ってもよい、みたいな教育を受けてる?


全体的に、敬語の喋れない若者(自分もそうだけど)、が目(耳?)についた。
尊敬する/敬う、って機会がほとんどないもんなー、リスペクトは、憧れのみだし。


で、雑誌社の人が講師だったのだけども、昨日の"一般人に対する情報発信"が
尾を引いてて、聴衆から情報発信の要望がいくつか上がっていた。
商業誌だ、商業誌だと何度も言ってるのに、ボランティアとしての機能を求めるのは酷。
本社日本にないし、義理はない。国際競争にも直接は関わらない方がいい。公平に。


7500部ってのは、雑誌としてはかなり少ない部数。世間一般からみれば、
ニッチだということを忘れちゃーならない。人件費高そうだし。
(※日本だいたい15%だそうだから、全世界でも5万部程度しかない?)
どうしてもそれが必要なら、入社して企画をあげてみればよいのでは。


個人的には、この雑誌の高感度アップ。


うだうだと書いたけども、ここの人たち嫌いじゃない。むしろ、好感を持った。
招いてくれたことにも大変感謝。


いろいろ経験を積んで、洗練されて(カドが取れて)、
丸くなっていくんだろうけども、ボリュームは増加する方向で、
がんばれ〜。