慈故能勇

慈故能勇
慈あり。故に能(よ)く勇なり。


もっとも穏やかな情けから、大きな勇気が湧いてくる。母の慈愛がその好例。
老子第67章の一節。どこで目にした(ついた)かというと次の本。


昭和の三傑 憲法九条は「救国のトリック」だった
堤 堯 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797671114/sr=11-1/qid=1163902727/ref=sr_11_1/250-2211514-2795401


今となっては真偽は確認しようがないのだろうけども、読み物としても大変面白かった。


昭和の三傑とは、次の三人。


耄碌爺 → 救国の宰相・鈴木貫太郎
軟弱外交 → 知略の宰相・幣原喜重郎
頑固爺 → 昭和の元勲・吉田茂


以下、本文からちょっと抜粋。


「戦争は勝ちっぷりもよくなくてはいけないが、負けっぷりも良くなくてはいけない。鯉は俎板の上にのせられてからは、包丁をあてられてもビクともしない。あの調子で負けっぷりを良くやってもらいたい。」


幣原・吉田・岸・・・明治生まれの国家経営者は腹中に天皇機関説を採り、神聖天皇制が「当用の擬制」であることを意識していた。


自衛隊違憲論は強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。


国際関係には、百年の友もなければ百年の友もない。千変万化に対処する備えの必要を認めている。しかし、いまはコレしかない - それが「戦力放棄」の発想だった。


およそ人間がするあらゆる判断・決断は、入って来る情報の質量による。分析力も去ることながら、それ以前に情報の質量がまずはコトを決める。その点、宰相や元老の手許に入って来る情報の質量は凄まじい。彼らはそれを判断材料にして政局を動かす。
知識人は本来、政権を云々するとき、情報の不足(があるかもしれないこと)を自覚して留保条件を付けざるを得ない立場にある。


「要するに幣原さんがマックをハメ込んだ。以来、憲法九条によってアメリカをベイビーする(あやす)、それが歴代政権担当者の秘儀・秘伝といいますか、申し送り事項だったんじゃなですか。吉田、岸、池田、少なくとも佐藤さんまでは・・・。いかがでしょう?」
ニコニコして聴いていた岸は、さらに相好を崩して言った。
「まあ、そういうこともあったかもしれんねえ。ウフフフ」


機会があれば、政治学者の橋川文三永井陽之助南原繁(曲学阿世の徒?)あたり、読んでみよ。